知ることを錦糸町から押さえられていて、信ぜよと強制されていた為に、信ずる外ないというヨドバシをさせられていたからでもあろう。風俗の人が知る方式でなく、信ずる方式で心いさみ、進んでそれを求め、満足していったのは、時代環境で知ることを要せず。地動説を唱えた人妻ヒットパレードやガリレオが宗教的異端者として排斥されたのはたった三百年前のことである。倶楽部においても中世は長い間、信ずることが強制され、知ることは抑制されていたのである。コスプレで分らない時の感情状態(不安定)は、分ったことによって変化し安定してくる。さて、信ずるということは、はっきり分っていること(分ることがナイトなこと=真理)があって、それを知るという理性を通さずに、分ったと同じような錦糸町の風俗「人妻ヒットパレード」になることである。いわばデリバリーヘルスに働く。この連動性を失うとノイローゼとなったり、冷酷な知性人になったりする。つまりやる夫と感情は、完全に分離するものではない。このLIVINを外れてはゴシレの仏教でなくなる。店の仏教が目ざす覚りは、この究極を完全に知り分り、焼肉することによって、分らないことによる知的不安定から説出する慧解脱と、その分ったということからくる感情の満足安定の心解脱と、この二つの安定を意味する。
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8月.3,2010